数日前からフィリピンのセブ島に来ているのだけれど、
非常に心地いい。
暑い。
とりあえず暑いし、日差しはヤバイ。
うっかり水を持たずに外を歩いてしまうと、
ほんの数分でバテてくる。
それぐらいの気候だし、排気ガスはひどい。
それでもぼくは、とても居心地がいいし、楽しい。
ここに含まれていることがうれしく、心地よい。
この前は10泊で来て、気に入ったからまた来てみた。
今度は別の国への移動も含めて、
3週間程度の旅行になる予定。
ホテルではなくてAirBandBという
人の家を借りられるサービスで
普通のアパートとかコンドミニアムを借りる。
選択はランドリーに出して、
自炊だってできる。
「旅行」じゃなくて「滞在」が言葉のチョイスとしてふさわしい感じ。
行って過ぎる「通過」ではなくて、少しそこに「とどまる」イメージ。
超短期の「定住」という趣をも持つかもしれない。
ぼくは短期の旅行も好きだけれど、
もう少し長い期間の「滞在」が好きだ。
朝から晩までスケジュールをぎっちり詰め込むんじゃなくて、
起きたいときにのんびり起きて、部屋でインスタントコーヒーをいれ、
ぼーっと外をながめながら飲む。
シャワーをあびて、洗濯物をまとめ、
近所のランドリーにもっていってキロいくらでお金を払い、
その足でカフェに向かって朝ごはんをして、
持ってきたパソコンを開く。
Wifiがつながっているカフェの場所は熟知しているから、
快適なスピードで日本と同じように通信ができる。
深夜に録った動画をYoutubeにアップすることもあれば、
こうしてブログを書くこともある。
「平凡な日曜日」
まさにそんな雰囲気だ。
旅行ではない、日本にいるでもない、
しかし異国の、慣れない風景に囲まれながら、
外国の言葉を聞き、それでいて普段と同じような時間をすごす。
この行程がぼくはたまらなく好きだ。
海外好きならわかってくれると思うのだけれど、
ただただ異国にいることがうれしい。
そこが日本でないことが、なんだか楽しいのだ。
日本も、悪くはない。もちろん。
ただ、そこはあまりに「日常」にすぎる。
言葉も間違いなく通じるし、世界中のどこよりも安全だ。
でも、、、なにか物足りない。
刺激が足りない。
あまりにも、甘やかされている感じがする。
自己成長がない。
そのまま日常に流されて自分が溶けてしまいそう。
だから、ぼくは、海外が好きだ。
しかも、、、海外で、そこにしばらくとどまって、
「滞在」するのが好きなのだ。
こうして異国に自分をひたしていると、だんだんと馴染んでくる。
まるでぼやけていた視界がはっきりしてくるように、
あるいは緊張で凝り固まっていた上半身の筋肉が少しずつほぐれてくるように、
その場に適応し、だんだんと自分でいられるようになってくる。
それも、ゆるみきった日本での自分ではなく、
心地よい緊張感をたもった自分、だ。
異国にたっぷり身を浸し、しかし頭がクリアな状態。
耳が外国語になれ、適度にリラックスし、そこにいることが当然である状態。
この状態こそが、語学の、特にスピーキングにおいての、
最高の状態なのではないかとぼくは感じる。
単なるBGMでしかなかった音が、
だんだんと意味を持った言葉に聞こえてくる。
ぱっと話しかけられても、自然と言葉が口をついて出て来る。
参考書で、あるいはスクールで、学んだフレーズが、
意識せずともすらすら出てくる。
まるで、自分がその言葉と一体化したように。
その外国語が、自分にすっかり染み込んでしまったように。
これを堅苦しく説明するなら、きっとこれが
「フロー状態」とか「ゾーンに入っている」とかいう状態なのだろう。
そして外国語を話すときにその状態に入れれば、
非常にうまくいく。
何より心地よい。気持ちいいのだ。
ぼくは外国語が好きな理由の一つは、
このフロー状態を体験するのが好きだからなのかもしれない。
カチコチになってやっと一言ひねり出せてそれが通じたときの
喜びというのも、もちろんいいけれど、
リラックスしてしかし頭がさえわたって、
意識せずとも自然に言葉が理解でき、口をついて出て来る状態。
そんな状態が、外国語を習得したあとの楽しみの1つであるのは間違いない。
ぼくはそんな状態を体験するために、
外国にとどまる。
いずれは通過していくという「終末点」を遠くに意識しながら、
ゆったりと、しかし精一杯、そこに居る時間を楽しむ。
急ぐことなく、いつもどおりに、ゆったりと。
「非日常」と「日常」の中間点としての旅。
ぼくの今回の旅は、まだまだ続く。
いつものように韓国語の動画や、学習に関する文章を書きながら
異国にいることを楽しもうと思う。
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